ルーツ

ルーツっていうほど大袈裟なものではありませんが、学びのやどってやつですかね。

暑いっすねぇ、毎日毎日。暑い通り越して異常気象ですな。・・・でも、バイク乗るですよ、あほなオイラは。
今日のテーマは『学校』です。
先ずは幼稚園。学校法人大乗淑徳学園付属淑徳与野幼稚園でした。昔は与野本町近くにありましたが、現在はさいたま市桜区白鍬にあるようです。そのころ私は浦和市大久保というところに住んでいたのですが(オヤジの会社の寮<長屋だった!>)、その付近には保育園しかなく、且つすんげぇ田舎だったので農家の子ばっかりで、両親がそこに入れるのをしのびなく思ったそうな。ふんでもって幼稚園からバス通園でしたがな。もちろん幼稚園バスなんて無かったので、4歳から普通のバスで通園してました。場所が移ってしまったので、今回は行きませんでした(なんのこっちゃ)。

小学校は浦和市立大久保小学校でした。埼玉大学付属小学校の試験も受けたようですが(覚えてない)、どうにもくじ引きで落ちたとのこと(ほんまかいな)。
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私が通っていた頃は木造一階建ての校舎でした。たしか5年生の頃に鉄筋校舎に変わったような記憶があります。

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形こそ変わってしまいましたが、とても懐かしいです。この頃は将来有望な『神童』と言われていました(ホントか!?)

中学校は浦和市立本太中学校でした。
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本来は大久保中学校にそのまま進学するのですが、『神童』といわれていた(?)私は、6年生のときの担任の進めもあり、越境入学をしたのでした。そのころ浦和では、常盤中学、岸中学、本太中学が優秀な中学校として認知されていました。オヤジの知り合いが本太中学のエリアに住んでいたので、そこに住所だけ移して大久保から本太中学に通うことになったのです。

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「モトチュー」と呼ばれてましたが、「ポンチュー」とも「ポンタチュー」とも呼ばれてましたかね?ここで私は早くも人生の挫折を味わいました。神童と呼ばれた小学校の成績は殆んどオール5でしたが、中学1年1学期の通信簿は、殆んど3という悲惨な結果。浦和でも田舎と中心部ではこんなに違うものなのかと愕然としたものです。ま、ここからは落ちていくのみでしたね(苦笑)。

高校は、國學院大學付属國學院高校でした。本当は県立大宮高校に行きたかったのですがしっかり落ちたので、滑り止めに受けた4つの私立高校から、唯一の共学であった國學院に進学したのです。でも、失敗でしたね。國學院に通う女の子は、超優秀な子ばかりで、休み時間まで机で勉強してましたものね。ま、なかにはイケてる子もいましたけど(テヘヘ)。

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今回は原宿方面から向かいました。やっぱり込んでますねぇ、ココは。神宮前、表参道ヒルズを抜けて、表参道の交差点を青山通り外苑方面へ左折します。

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南青山3丁目を過ぎて次の外苑交差点を左折すると左側に見える都立青山高校のとなりが國學院高校です。

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いやぁ~いい場所にありますよ、この学校。すぐ隣は国立競技場西テニスコート、右側は神宮球場、少し奥には日本青年館、そしてその奥が明治公園。ふんでもって、そのまた奥が国立競技場。そのまた奥が東京体育館で、その奥にJR千駄ヶ谷駅があります。高校のときは毎日千駄ヶ谷駅から、東京都体育館、国立競技場、明治公園、日本青年館、左手に神宮球場、右手にテニスコートを見ながら高校の門をくぐったものでした。

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はい、勉強はぜんぜんしませんでした。小学校で神童といわれた田舎の子は、都会ではクラスでブービーとりっぱなしでした。いやいや、なんとも・・・・・・(苦笑)。

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このあと私は体育の教師になるつもりで日本体育大学を受けたのですが(コネがあったので一本狙い)、よりによって試験三日目の実技試験を受けることができず(高熱出して倒れました)、スパッと体育教師への道はあきらめて電子工学院という蒲田にある専門学校に進みました。これが無ければ、今の外資系電子部品メーカ営業の職にはついていなかったでしょうね。人生、どうなるかワカランもんです。同級生で教師になった連中は、皆大変な苦労をしてますもの。さすがに蒲田まで走っていく元気は無く(暑過ぎ!)、首都高かっとんで帰路に着きました。

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今晩のお伴はコレ、EPUです。文句無しにうまいっす。レポは、こっちを見てくださいまし。

ほんの3時間ほどだったでしょうか。学びの宿を振り返るプチツーでした。
本日の走行距離、・・・・・・記録とり忘れました。

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この記事へのコメント

2010年08月01日 23:22
こんばんは。
ほうほう、これは粋な企画ですね。
私なら炎天下、歩きますが…って、かろうじて1日で歩ける距離(40キロ以内ならば)のようですね。

ところで、私の出身中学は、廃校になりましたので、そこでプツリです…。
2010年08月01日 23:35
こんばんは
小学校は木造平屋がいつの間にか
立て替えられ
中学校は廃校・・グランドと体育館が残るのみ
高校は落ちこぼれて

大学は沢山受験したなぁ
2010年08月02日 01:02
国学院高校が滑り止めなんて
とってもおりこうさんじゃないですかぁ~ 尊敬
あの周りは東京の中でもとっても好きな地域です
写真の右はじに3塁側の照明塔がうれしいな

ちなみにらん太郎。2本の松の高校でした。
監督
2010年08月02日 17:17
>かわいさん
実は午後に予定もあったので、遅い昼食(1時半ごろ)には自宅に戻っている必要があったのも蒲田をあきらめた一つの理由です。今度行きますね♪

>ただチャンさん
オイラ、大学は記事にあるように行ってません。でも、大学行っていたら、ぜんぜん違う人生になっていたと思います。人生って、楽しいですね♪

>ひばり組らん太郎。さん
すんません、間違えました。私立の第一志望は巣鴨(赤ふんでおなじみ)でした。第二志望が國學院。第三志望が電大付属。ふんでもって完璧な滑り止めは城西川越でした。公立以外は全部受かったので、全部滑り止めに思えちゃったんですね。実際のところ、城西川越以外は全て補欠合格だったりしますんで。
たはは・・・(苦笑)。
2010年08月07日 21:06
こんばんは~♪
(気になる部屋)を読み進んでいると(ルーツ)まで来てしまいました。
幼い頃に神童と呼ばれていた監督さんは今でも頑張っていますね。
私は今まで歩んできた自分の道を忘れつつありますので、
この記事を読んで、よく考えて見ます
2010年08月07日 21:44
>ミモザさん
いえいえ、私こそ日々に追われ、それを言い訳のようにして自分を忘れかけてますので、たまにはバイクを理由に振り返ってみただけです。
良く考える時間を、たまには持つべきですね♪
私もがんばってみます。

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